Ogurayama Friends 2015年3月号ニュースレターよ

今回は中国から日本に1年間研修に来ていたワンさんのお話です。昨年の夏と秋の2回に分けて合計2か月ほどをおぐらやま農場で過ごし、りんご栽培の研修をしました。先日、最後のお別れといって、再度安曇野を訪れてくれたのですが、農場主・松村が、改めてワンさんにインタビューをさせてもらいました。


----今日は改めてワンさんからいろいろなお話を聴いてみたいです。まずは自己紹介からお願いできますか。

はい。私はワン・ヤン(汪洋)と申します。昨年3月に中国の煙台(イエンタイ)からきました。中国では日本のY総業の中国工場で働いています。5か月間、日本語と日本の文化について研修しその後工場の現場研修をしました。今35才ですが、4年前に結婚して、妻と小さな子どもを中国において、一人でこちらに来ています。

----会社の方から、今回の日本行きの話があったと思うのですが、どんな経緯だったのですが?

5年ほど前に実は会社から行ってみないかと一度話がありました。が、その時に私の母親の具合が悪くて、それでお断りしたことがあります。そして今回もう一度話があり、このチャンスは大切だなと妻や私の家族も支持してくれています。私の実家は煙台の近くの村でさくらんぼ農家をやっていますし、妻の実家はもう少し田舎に行ったところでりんご農家をしています。このあたりは中国の中でも一番りんご栽培の盛んな場所です。

----ワンさんが日本に来る目的にしていたことはどんなことだったんでしょうか。

尖閣諸島の問題などで政府同士ではとても仲の悪い状況が続いていました。テレビのニュースでも日本を悪く言うことをたくさん聞きました。が、会社の上司は日本人がたくさんいますし、本当にそうなのかなと思っていました。中国人と日本人では考え方が違うのは当然ですが、それがどう違うのか、これが一番知りたかったことです。実際に体験したかったのです。

----実際にどうでしたか。どんな違いを感じましたか。

日本に来て一年間、日本人と暮らしました。こちらの人は真面目です。仕事についても、他のことについてもです。(ワンさんだって、とても真面目なひとだなあと僕は感じていますよ。) そうですか。きっと中国人の中では、私も真面目な人と言えるかもしれませんが、こちらの人はもうほとんどの人がそうで、真面目が普通。これが一番強く感じた日本人の印象です。 だから日本の製品が優秀なんだなと納得しました。

----ワンさんがおぐらやま農場に来ようと思ったキッカケを教えて下さい。

今回の1年間のうち、5か月間が日本語と日本文化を学ぶという目的でしたが、一人ひとり自分のテーマを考えるのです。私の実家も妻の実家も果樹農家ですし、特に妻の実家はりんご栽培をとてもがんばってやっていますから、日本のりんご農家がどのような栽培をしているかについて、関心がありました。中国のりんご農家はとても大変だと思います。一生懸命働きますが、あまりお金が入りません。私は日ごろは会社に出て働きますが、週末になると時々手伝いに行くこともありますし、私が定年したらそのりんご園を私がやらなければならないかもと考えますので、日本に来たチャンスにこちらのりんご栽培方法などを見てみたかったのです。

そして日本の研修先、静岡の「地球人村」という言語教育機関の先生と相談し、インターネットでウーフの活動を見つけました。長野県はりんご農家が多いということで、まず「安曇野地球宿」の増田さんのところに来て、紹介してもらったのが「おぐらやま農場」だったという訳です。

----おぐらやま農場での研修はどうでしたか。ワンさんにとって役に立つことはあったでしょうか。

「炭素循環農法」ということについて学びましたが、そのようなやり方を初めて聞きましたし初めて見ました。これはいいなあと強く感じました。青森の木村さんの本を読んだりしましたが、本当に農薬も肥料も使わずにりんごができるのかなあという気持ちと、成功して農法を転換し終えるまでの長い間、どうやって農家が生活したらいいのかも分かりませんでした。

松村さんはりんごの木に無理をかけていないように見えました。そして農家経済にも無理をかけないように考えています。松村さんのやっている炭素循環農法はそんな感じを受けました。肥料を使っていませんし、まだ無農薬ではありませんがとても少なくしてやっているけれど、りんごの風味、味と香りがものすごく良いのです。ほかで食べるりんごと全くちがうことに驚きました。中国のりんごと比べてもちがいます。とてもうまいのです。

2か月以上暮らしましたからここで作られる農作物をたくさんいただきましたが、どれもうまい。それはここの畑・果樹園がみな炭素循環農法に切り替えているからです。自然農法とよく似ていますが積極的に土づくりをすることで転換するスピードが上がりたくさん取れるようになるのだと思います。ですから生産農家にとってとてもメリットがあります。世界中の農家がこうやって農業をやれば世界中の人が元気になれるのではと思います。

----農場に滞在して心に残った出来事やエピソードなどあったら教えて下さい。

おぐらやま農場に滞在した2か月間、私はとても元気でした。健康的な食べ物をずっと食べましたし、中国の会社では技術資料を作ったり経理関係とかパソコンでの仕事が多く、あまり体を動かしていませんでしたが、ここではいつも太陽の下でのびのびと体を動かすことができたのです。ウーフは作業時間も6時間だけで、自分の時間も余裕を持って取れますし快適な毎日でした。たくさんの海外からの人と交流でき、ここで出会ったスタッフの人や松村さんの友人たちは皆優しくて気持ちのいい人ばかりでした。

そして松村さんが作物たちを見るときの感じが自分の子供を見ているみたいです。ミネラル水をかけてやったりいろんな管理作業をしますが、精神が伝わっていくような感じなのです。なぜりんごたちが美味しくなるのかわかる気がしました。

----中国にいよいよ出発ですが、これからやっていきたいことを教えて下さい。

おぐらやま農場でこの農法と美味しいりんごに出会って、帰ったら会社を辞めて自分のりんご農園をやろうかなと、一度本気で考えてしまいました。(笑)(それはまずいでしょ、ワンさん!)が、そのあと工場の現場研修を3か月間やっているうち、「会社の為にもうちょっと頑張らなければ」と考え直しました。(笑)(ああよかった。) 一生懸命働いてお金が貯まったら少し早く退職して、将来りんご農家になって美味しいりんごを作ってみたいと強く思っています。

----日本に来る前は親がやっている農家の仕事をどんな風にみていたのでしょうか。

正直に言うと農家はイヤだなと思っていたのです。これは中国の若い人たちの気持ち、ほとんどがそうです。都会の生活が便利で楽で、お金も稼げる。田舎には残りたくない。でも親が続けているし少しでも楽なりんご栽培の方法はないかなと思っておぐらやまへ来たのですが、今は全然気持ちがちがいます。ここへ来て農業という仕事がとても魅力的で誇りを持ってやれることに変わってしまったのです。 (終)

Ogurayama Friends 2015年2月号ニュースレターより

今月は安曇野市穂高に在住の田辺陽一さんをご紹介いたします。昨年4月に東京の練馬から信州安曇野へ、ここを終の棲家と定めて引っ越されてきました。実はもう何年も前からおぐらやま農場の果物を毎年、毎月と言っていいほど食べていただいていた、私たちにとっては「超お得意様」の存在だったのですが、こちらに引っ越されてきて、今度は旦那様が、農作業のお手伝いに来てもらうようになっています。本当にありがたい存在なのですが、どんな心境でこちらに来られたのでしょうか?  (今回は農場主のインタビューに応えていただく形でお届けいたします。)

-----自己紹介からお話していただいていいですか。東京にいたころのお仕事や安曇野へ来た経緯のあたりから-----


田辺陽一です。前は小学校の教員を33年間やっておりました。退職後は、3年間、教育委員会で、新規採用教員や主任・主幹教諭などの研修をやっていました。そして、昨年4月にこちらに引っ越してきました。まだ1年経ちませんけれど、東京に住んでいるときから、退職したら自然の豊かな場所で自然に関わりながら暮らしたいなあと、ずっと思っていました。

-----それはいつごろから、そんな風に決めていたんですか?-----

50才を超えたあたりには、もうその考えははっきりあったかな。退職したら家にいる時間が長くなるし、私はどんなことがしたいんだろうって考えてみたら、やっぱり自然と関わりをもって生活したいと。東京も面白い所なんだけれども、自然の豊かな場所で暮らしたいというのは、僕も女房も幸いに一致していたからね。場所探しの時には、私は最初、自然が豊かで温暖な気候がとってもいい、伊豆がとても気に入っていたんだけれどね。だけれど、女房の妹が安曇野で建築士をやっていたので、こちらに遊びに来た時、大王わさびの万水川の水車のところへ行った時に「ドキン!」ってきちゃった。いやあ「ドカーン!」かな。これは何てすごいところなんだと。水草が清流にゆらゆらと揺らめいているそのシーンを見た瞬間に、「こんなきれいな場所が、本当にあるんだ!」って。それで、よし、安曇野へ来ようと心が決まったんだね。

-----ちなみに建築士をやっている田辺さんの奥さまの妹さんは、うちの農業倉庫を作るときにも設計から何から本当にお世話になった方です。縁がつながり、田辺さんに今日こうやって果樹園でインタビューができるのが不思議です-----

 東京にいるときからおぐらやまの果物をずっと送ってもらっていてね。やっぱり女房の妹が「ここのりんごが美味しいから」って薦めてくれたんだよ。その縁で数年前に一度農場にも来させてもらって松村さんにもお会いして。 はい。よく覚えています。 去年こっちに来てからは、場所も近くなったんだし、送ってもらう必要もないから直接買いに行こうよって、去年の秋に、また、おぐらやま農場へ来たんだ。その時、自分の畑の仕事も大分落ち着いてきたので、「農場で何かお手伝いできることがありますか?」って聞いたら、「是非来てください!」って言ってもらえたので、そこからりんごの収穫、りんごの仕分け作業、年が明けた今は、りんごの木の剪定の研修と続いています。

-----さっき少し話されていましたが、田辺さんは穂高の家の方で畑を借りてどんなものを作っているんですか?-----

いや、畑を借りているのではなくて、家の敷地の中に畑を作ったんだ。新しく造成して建てた住宅地は工事のために、土地全部が、がっちりと踏み固められて、スコップで掘り起こそうとしてもスコップが入らないような状態で、まるで荒地を開墾しているようだった。でも、すぐ家の向いに住んでいる方が、大変親切な事に、トラクターで土地を掘り起こしてくれたので、ものすごく助かった。それで何とか畑になり、夏野菜から植え付け。トマト・きゅうり・ナス・かぼちゃ・オクラ・枝豆・・・。夏野菜はほとんど作りました。秋からはキャベツやブロッコリーなど、今は雪をかぶって冬眠中のものもあるかな。かぼちゃにミニトマトは本当にものすごく採れたね。サツマイモもよくできたし。こんなに上手にいくなんて思ってもいなかったから、とっても嬉しかったし、やってみての実践から学ぶことがたくさんあったよ。

-----そんな風に畑を楽しんでやり始めた田辺さん、今度はりんごの剪定作業にチャレンジしたい、学んでみたいと言われて今は周辺作業を手伝ってもらっていますが、そういう意欲はどんなところから来ているんでしょうか。-----

いやあ、それは分からないけれど、地元の人やIターンでこちらに来た人たちと何人か知り合ってきたけれど、みなさんどの方もみな大変意欲がある方々が多い。家の設計を自分でしたり、庭の塀や畑の小屋を作ったり、自分の専門外のことでも「Do it yourself」が当たり前なんだな。そのことを東京にいた時とくらべるとすごく違いを感じるんだ。近所の方が、漬物でもたくあんでもお味噌でも、お店で買わないでなんでも自分で作ってしまう。

ともかくそういう人がとても多く、なるほどそういうものなのかと思っています。そんな影響で、昨年は干し柿を吊るしたり野沢菜をつけたりと、いくつかチャレンジしてみました。今までは仕事に追われてなかなか自由な時間が取れないでいた部分があったけれど、これから自分がやっていきたいのは自然との関わり、そして農業に取り組むということ。おぐらやま農場さんでも、いろいろ学べたらと思っています。

-----田辺さんは東京生まれの東京育ちでしたっけ? 農業の経験ってこれまでにあったんですか?-----

私の生まれは「東京は葛飾柴又」の寅さんで有名な場所のすぐ隣り町、千葉県の市川市。3歳の時に練馬に引っ越して、それからはずっと練馬。そのころの練馬はまだまだ農家がたくさんあって、ポツンポツンと家が建っていたぐらいで、田んぼも畑も雑木林も、あちこちにあった。農家の庭は自分たちの遊び場でもあったからね。まだ車なんかは珍しい時代だから。やっぱりそういう時代のことが原点なんだね。

それが、昭和39年の東京オリンピックのあたりから、周りの変化がすごかった。自分たちの遊び場だったりした雑木林や空き地はみんな住宅地に変わっていったし、田んぼや畑もどんどんつぶされて、団地に変わっていった。その変化は高度経済成長時代っていうけれど、ホントにすごい勢いで変化していったね。

-----なるほど、東京がまだ田畑や雑木林ばかりの田舎だった時代から、人口が増えて町が大きくなって、今のような姿になるまでをずっと見てきた世代だっていうことですね。-----

「練馬」っていってもね、「東京23区の西のはずれ」だからね。60年前の練馬を思うと、今の安曇野の方がはるかに都会ですよ。だから農作業をやっているところを目にすることは、ちっとも珍しくはなかったし、日常の風景そのものだった。学校の帰り道に近道をしようと畑を横切った際、誤って作物を踏みつけてしまったのを見られて、「こらっ!」って農家の方にえらい怒られたり。麦の穂が出てきたらひき抜いて、先を割いて麦笛を作って鳴らしたり、空き地や農家の庭で野球をしたり、そんな環境だったね。今はそんな風景は探して歩いても見つからない。

-----これからの楽しみというか、やりどころはどんなところでしょうか。------ 

今は剪定ですよ。これを一つ、ものにできたらいいなと。それから、もっともっと美味しい野菜を作る。それからおぐらやまさんでも作っていたけど、ドライフルーツなんかも作ってみたいと思っているし、そうやってできることを一つ一つ増やしていければもっと心豊かな暮らしが広がっていくんじゃないかなと考えています。こっちの人は「Do it yourself」だからね。「自分でする」って人生で大切なことだと思うし、教育の原点とも言える。

-----おお、深い話になってきました。さすがに長年学校教員をつとめあげた方の言葉であります。-----

 子ども達が育っていくうえで、最初にモデルにするのは、親だからね。そういう意味では、いつも家で仕事をしている松村さんたちは子ども達にとっていいモデルになっているんじゃないかな。一生懸命働いている親の姿が見せられれば、そりゃあ子ども達も自然に一生懸命働く人になるよ。サラリーマンの場合はなかなか働いている現場を見せることはできないが、家で仕事をしてる方々の子どもたちは、いつも見て、感じているね。そういう意味では手が抜けないね。


Ogurayama Friends 2015年1月号ニュースレターより

今月のおぐらやまフレンズは、昨年ウーフで3度もおぐらやま農場に足を運んでくれたあやちゃんこと佐伯綾子さんです。いつも何かを学ぶことに熱心で、明るく笑顔がたえないあやちゃんですが、オーストラリア、ニュージーランド、インドなど目的を持った旅で、アクティブな学びを続けている素敵な女性です。

あやこ

2014年の5月から12月まで日本全国でウーフ(農業ボランティア)をしておりました。きっかけはヨガを本格的に始め、食と健康を見直そうと思ったからです。 その間8カ所のホストさんでお手伝いさせていただきましたが、おぐらやま農場さんだけは3度もリピートさせて頂きました。 え、なぜかって? はい、おぐらやま農場さんとこの土地が大好きになっちゃったのですね。

しかも、訪れる度にもっと素敵なところや魅力を見つけることができ、好き度がぐいぐい増していきます。 恋、かしら?!(笑) 毎回、次はいつ行こうかしら? で終わります。 そんなところって人生でなかなか出会えない!特別な場所を見つけてしまった感覚です。 さて、では何が大好きなのでしょう?

安曇野の土地はもちろん、 最大の理由はおぐらやまファミリーがとっても素敵だからです。 暁生さん、輝美さん、子どもたちは私がいつ来ても本当にウェルカムなアットホームな歓迎を毎回してくれます。誰かに無条件に受け入れてもらえるというのは本当にありがたい幸せなことです。 子どもたちの笑顔は最高!とても仲良くしてくれて元気をもらえるのです。

「あやちゃん、あやちゃん」とニコニコくっついて話してくる姿、頑張って一緒にお手伝いをしてくれる姿、全てが可愛くてたまりません。3人の子どもたちは社交的でとっても多彩、何でもトライしようとする前向きな姿勢は私に感動を与えてくれました。

子どもたちで一人づつそれぞれ1個クリスマスケーキを作ったり、(一番下の子はまだ6歳!)アナと雪の女王を英語で(!)熱唱したり、子供の可能性って無限大だな〜と感心しっぱなしです。

作業は、正直女性には時々ハードな時もありました。重たいもみがらを畑に一日中撒き続けたり、台風の激しい雨の中、強風で落とされないうちに高いハシゴに登ってリンゴを収穫したり。雨の日などは、家の中でできる作業、例えば黒豆の選別をしたりしました。

作業は大変な時もありましたが、すごく楽しいです。外で体を使って作業ができること、しかも疲れたら最高の景色をファ〜っと見て体を休めることがすぐ出来ることというのは、会社の中で働いていては味わえない全く違う世界でした。

一年を通して全く違う顔を見せてくれる安曇野。こんなに美しい景色を毎日見ながら作業ができるなんて、とっても贅沢なことだろうなぁと何度も思いました。一緒に働く人達、近所の方々、おぐらやまファミリー、、みなさん信じられないくらいとっても温かい。自然がそうさせるのでしょうか? それとも、 自然と皆さんがそういう人達なのでしょうか?たぶんどちらもだと思います。 相乗効果なのだと私は思っています。

そんななかで育った作物は、何だか私には特別で。 このような背景で育てられていると知れば知るほど、味以上のものを楽しめるのです。 なんだかこれもまたすごく贅沢している気分です。ウーフホストで農業体験をしなければわからなかった、感じられなかった何倍もの至福を自然がプレゼントしてくれました。

このリンゴは、毎日あの雄大な北アルプスを見てすくすく育ってるんだなぁ〜、と、目を閉じればすぐにあの空気を感じることができます。出逢ってまだ半年も経ってないことが信じられないくらい濃厚で、愛と笑いでいっぱいの時間を過ごさせて頂きました。 これからの人生でとても大きい意味のある一年でした。この出逢いに、感謝です。

Ogurayama Friends 2014年12月号ニュースレターより

今回は、おぐらやま農場の農作業を地道に支えてくれる地元在住の友人、「縁農サポーターズ」を自任してくれている並木さんを紹介いたします。春の花摘み・摘果作業から始まって、この秋はふじりんごの仕分け作業等の農作業に関わってもらい、農場の農産物で御礼をさせていただいております。それぞれの人生の一端で関わり合うことができた必然を感じますね。並木さん、いつもありがとう!

「人生が芸術となるコミュニティー・シアター!一緒に創りませんか!」

安曇野市在住  並木 健俊

体調不良のため退職し昨年4月に東京から移住しました並木と申します。移住後に様々なご縁で出会った方々と安曇野の美しい風景のおかげですっかりリフレッシュできました。おぐらやま農場の新鮮で美味しい農産物は弱っていた心身に活力を与えてくれました。

今は最高にリラックスした日々を過ごさせて頂いております。出会いに感謝、天地に感謝、おぐらやま農場に感謝です。そして、私はその感謝の分かち合いとして、安曇野の地でコミュニティー・シアターを展開していきたいと思っています。

コミュニティー・シアターとは、共同体で行う心理劇、即興劇の総称で、個人的な思い出や体験を役者や仲間達が即興で演じ合う手法です。1970年代の米国で実践された心理療法が舞台芸術と融合し発展したコミュニティーの絆を深める新しい交流形態です。私は米国旅行中に出会い帰国後に日本の劇団や心理劇学会でその手法を学びました。

コミュニティー・シアターの魅力は、人と人の心を深くつなぎ、コミュニティーの絆を高めることです。心の癒し効果も高いと言われています。個人が語る体験は他者には無関係に思えますが、演技的な表現で伝えると、その場に集う人々の無意識と密接に絡み合い共鳴する瞬間があるのです。体験を単なる会話だけではなく、理解を深める芸術的な演技表現で分かち合う時、お互いの人生に普遍性を見出し深く共感するからではないでしょうか。

米国の社会学者らによる「Communities of memory」(共同体が持つ過去の記憶)という概念があります。例えば地域の昔の写真を見ながら、お年寄りが当時の様子を語りその話を若者が聞くというような機会を通じて、地域社会の歴史や伝統が明らかになり、コミュニティーが育まれていくというのです。

私は、「なろう、ひとつに!」という地元FM局のスローガンを聞いた時、まさにコミュニティー・シアターの出番だと思いました。穏やかに暮らす一般社会の人に「演技しよう!」というのは唐突な提案だと思います。けれど普遍的で尊い人生の分かち合いは、気軽なおしゃべりではなかなか伝わりません。ストーリーを語り共に演じ合うという行為は、心と心のかけ橋となり、コミュニティーの絆を深めてくれることでしょう。

ただ今、共に活動してくれる仲間を募集中です。そうそう、おぐらやま農場の歴史を皆で演じてみるというアイデアはいかがですか? 

Ogurayama Friends 2014年11月号ニュースレターより

今回おぐらやま農場にウーフできてくださった藤原司さん、新規就農希望ですが本当に素晴らしいウーフをしてくれました。ほかのウーファーさんからも慕われ、頼りにされています。数年後に、藤原さんの農場を訪ねるのが楽しみです。

藤原さん
左から3番目が藤原さんです。

< 仕合わせ(しあわせ)=運命のめぐりあわせ >

「なぜめぐり逢うのかを 私たちはなにも知らない」
「いつめぐり逢うのかを 私たちはいつも知らない」

中島みゆきさんの名曲「糸」はこのように始まります。なぜ人は出逢うのでしょうか?この広い世界で出逢える人は何人でしょうか?人と人との出逢いは偶然でしょうか?それとも必然でしょうか?その出逢いは本人たちにはわかりません。また出逢いのタイミングもわかりません。今日かもしれない、明日、1年後、いやもっと先かもしれない。「何も知らない」から人生は面白く、それだからこそ「出逢い」は素晴らしいのではないでしょうか。


今回、初めてのWWOOF(ウーフ)でここ「おぐらやま農場」に大変お世話になりました。私の親戚が農家ということもあり農業にはとても関心があり、いつかは農業をやりたいと漠然と思っていました。そんな時にWWOOFに出逢い、受け入れ先のホストさんに素晴らしい笑顔のご家族の写真を発見! 家族構成と年齢層も我が家とほぼ一緒。これは行かねば!と、即申込させていただきました。

「縦の糸はあなた 横の糸は私」
「織りなす布は いつか誰かを 暖めうるかもしれない」
「織りなす布は いつか誰かの 傷をかばうかもしれない」


人を糸、その触れ合いを布に例えて、縦の糸と横の糸、そしてその糸に斜めの糸が加わると、絆の固い家族(松村ファミリー)が想像されます。ひとりぼっちの人間を1本の糸に例えることで、糸(人)は細くてもろいかもしれませんが、縦横と織りなして布となることできっと強くなれることを教えてくれていると思います。人との出逢いを大切にし、手を取り合って生きることで、誰かを暖め、傷をかばうことができるのでしょう。出逢いの歌詞は最後でこう表現しています。

「逢うべき糸に 出逢えることを 人は仕合わせと呼びます」

「幸せ」ではなく『仕合わせ』と表現しています。『仕合わせ(しあわせ)』とは「運命の巡りあわせ」を意味しています。一般的に使われる「幸せ(しあわせ)」という意味の異なる2つの言葉を糸のように紡いでいます。元々「めぐり合わせ」や「運命」といった人の想像をはるかに超えた大きなものが『仕合わせ』で、その中に「幸せ」があるそうです。「おぐらやま農場」に滞在した2か月間で出逢えた人は、逢うべき人だったんだなあと、時が過ぎ去り振り返った時にはじめて見えてくるものがあります。


皆さんは『仕合わせ』と呼べる「幸せ」に巡り逢ったことがありますか?これからの人生でお互いの「糸」を紡いで素敵な人生を織りなしたいと思います。

 
2014年10月29日(水) おぐらやま農場を出発する前夜に    Fuji-san

Ogurayama Friends 2014年9月号ニュースレターより

今回のOgurayama Friends はお客様からのメッセージです。

農家料理のお店・「なごみ」のオーナー、関和弘さんが、メッセージを送ってくれました。お店でおぐらやま農場のりんごジュースを使っていただいていたご縁で農場メールマガジンに時々目を通してくれているとのこと。「健康」や「病気・病身」について、日々の仕事の積み重ねの中で得られた体験をもとにいただいたご意見です。

私は12年前、船越康弘さんに出会い重ね煮を学び船越さんの考え方を常に自分に問いかけてきました。ガンの末期患者さんが船越さんのところに行くと治る。それが何故なのか私は考えていました。船越さんが私に教えてくださったのは、「夢を持つことをやめてはいけないんだよ!」 当時の私には全く理解ができませんでした。

あれから色々な経験を積むなか、あることに気づきました。当店でも病院で見放された患者さんが多く来ていただいた時期がありました。初めは笑顔でいることと、重ね煮をお教えしました。半数は奇跡的な改善で私も驚くほどでした。当時、何故こんなに体調が改善されるか正直不思議でした。

それから月日が経ち、今から約三年前位にわかり始めたことが、「正当な欲を放棄した人が病気になっている」ということだったのです。なぜかはわかりにくいですが、簡単に説明いたします。

体は心が思ったとおりに反応します。現実は、心の反映と言うことです。

ではなぜ病気になるかと言うと、無意識に思っていることや考えが病気を作ってしまうのです。人は欲をもってはいけないと良く言われますが、本当でしょうか? 人は生きたい、食べたい、幸せになりたい、豊かになりたい。当たり前の正当な欲までもってはいけないのだとしたら、生きている意味はないですよね!

ところが世間はその反対なんです。このことはまたの機会に詳しく説明しますが、本題にもどります。

人が病気になる理由は、今やっていることが間違っている時だと私は思っています。例えば食事、生活のバランス、考え方です。先の二つは大体の方が変えていくのですが、考え方は変えない人が多いです。正当な欲を捨ててしまうと、無意識に心が、もう自分は必要ないんだと感じて、それを心が受け入れてしまうと病気になってしまうのです。 正直食事や生活のバランスも大切です。 ただなごみのお客様はほとんど食事や普段の生活を改善されて来ています。 ところが病気が治らない。

それで私は正当な欲をもって行きていくことをお話しします。するとどんどん病気が改善されるのです。欲を持つことで、体が必要になるのです。 船越さんが夢を持つことが大切だと言った意味がようやく繋がったのです。
そのおかげさまで、多くのお客様から喜びの声をいただいています。

1000人位の常連様になごみとは別にこんなにお話しをしていたら奇跡的なことが起こり始め、今年四月から常連のお客様からお友達にも教えてほしいという声がかかり、なごみ料理塾として始めました。(考え方と食事、生活のバランスを取る方法を伝えております。)また何かありましたらご連絡下さい。


皆様のお役に立てれば幸いです。nagomi料理塾 関和弘

農家料理なごみ http://minpai.orahoo.com/nagomi/


Ogurayama Friends 2014年8月号ニュースレターより

今ウーファーとしてうちの農場のお手伝いをしてくれているタカくんです。明るく元気、そしてしっかりもののタカ君。若いうちからこんなにしっかりと人生をかんがえているなんて素晴しいですね。どこにいっても明るさを忘れないタカ君は、移住先でもきっとうまくいくこと間違いなしですね!  (写真真ん中がタカ君です)

タカ君

こんにちは! 松村さんの所で、現在住み込みで有機農業のボランティア(ウーフ)をやらせていただいている、大矢崇人です。今年大学を卒業してから、仕事にも就かずに有機農家でボランティアをする毎日を送っています。

おぐらやま農場での農作業は5時から始まるので、僕は毎日4時半に起きています。綺麗な朝焼けと共に畑に出掛け、まだ朝露に包まれた草の中での農作業は、とても心地のいい物です。そんな生活に慣れてきてしまい、休みの日に少し遅く起きると、もう空が明るくなっていて、いい物を見過ごした感じがします。

7月21日からここで生活していますが、とても楽しい日々を過ごしています。最近はトマト畑の草むしりや収穫を行っていますが、世代も国も違う他のウーファー達と話に花を咲かせながら、楽しく農作業をしています。

ところで、何故僕が就職もせずに、有機農業ボランティアなんかしているのか? それには大学生活中に浮かんだある疑問がきっかけでした。自分も普通の大学生と同じ様に、初めは就職活動をしていました。しかし、ある日「このままどこかの企業に就職して、本当に自分は幸せになれるのか?」と思ったのです。

自分がこのまま普通に就職したら、国際競争に晒されて、一生競争をして勝ち続けなければならない-つまり、ずっと勝ち続けるために働き続けなければならない。そんな将来は、僕は歩みたくなかったのです。

そんな生活を送らない様にするにはどうすれば良いのか? 考えた末に浮かんだのが、田舎に暮らして、自分で食べ物を作る事で、お金にあまり頼らない生活をするという事でした。

「田舎暮らしをする!」という自分の将来が決まってからは、パッと就職活動をやめました。そして、将来の移住先を探すため、そして農業知識を身につけるため、今年の4月から日本でウーフを始めたのです。これから12月まで、様々な農家さんの所でウーフをして、移住先を見つけようと思います。

将来は、自分の食べる物は自分で作る、つまり自給自足の生活をしながら、ウェブライターの仕事をして食べていければいいなと思います。現在はSOHOで小さな執筆のお仕事をしていますが、これから少しずつ執筆技術を上げて、良い記事の書けるライターになるために頑張ります!

まだまだ自分でも、これからの人生がどうなっていくのかわかりません。でも、もし何かの縁で出会う様な事があれば、その時はよろしくお願いします。   大矢崇人

Ogurayama Friends 2014年7月号ニュースレターより

今月のおぐらやまフレンズは、安曇野穂高にあるおそばや「とりい」の店主の中村さんです。ここのおそば最高です!私ははじめて食べたとき、「うわっーー!このおそばと、このダシ、魂が喜んでる~~~」って感じるぐらいにそのおそばとダシに感動してしまいました。あかるく接客してくれる亜矢子さん手作りの「そばかりんとう」も絶品です。ぜひ安曇野にお越しの際は立ち寄ってみてくださいね!!

とりいさん


はじめまして、安曇野の穂高にある穂高神社の大きな石の鳥居のすぐ下で「蕎麦とりい」という蕎麦屋を営んでいる中村健太といいます。今回、おぐらやま農場の松村さんから声を掛けて頂きお店の紹介をさせてもらう事になりました。(本当にありがたい!!)拙い文章ですがお付き合いください。

僕が安曇野に始めて来たのは、今から7年前。安曇野がどんな土地かも知らず、もちろん蕎麦屋になりたかったわけでもなく、友人が働いていた宿を頼りに半ば強引に押しかけたような形でした。無一文の僕は宿のお手伝いをさせてもらいながら、それから3ヶ月間滞在させてもらいました。その3ヶ月間で安曇野が気に入ってしまった僕は、「来年もう1年働かせてください。」と宿のオーナーに頼み、さらにもう1年働かせてもらいました。

そしてこの時から「自分で出来る(作れる)事は自分でやろう」と思い立って自給自足の暮らしを始めます。
畑で野菜を作る。米、大豆を作り味噌や醤油を作る。などなど今までとはかけ離れた生活が始まり、分からない事だらけだけど充実した暮らしができるようになりました。

それから2年くらい経った頃、せっかく信州で暮らしているのだから蕎麦を打てるようになりたい!!(蕎麦も栽培していたもので、、)と思い立ち、松本にあるかねてより好きだった蕎麦屋さんに電話をして「蕎麦打ちを教えてください!」とお願いしました。

「それなら週に1度、店に来て蕎麦を打ったらいいよ」と快い返事を頂き、週1回の蕎麦打ち生活が始まりました。約2年間通わせて頂き、出汁の取り方、かえしの作り方など、本当に沢山の事を教えてもらいました。

そしてちょうどその頃に自分の生活や農作物の流通に疑問が湧いてきました。全て自分達で完結してしまっているなと。もう少し自分に出来ることはないだろうかと。そんな時、今の店の物件が空くという話を友人から聞き、「よし何かやってみよう!」とまた思い立ち、自分に出来る事はなんだ??「蕎麦だ!」よし蕎麦屋をやってみよう!(勢いのみですね、、)となりました。それが今から2年前。

まだまだ駆け出しで不安定な所もありますが、多くの方々に支えられて楽しくやらせてもらっています。パートナーの亜矢子さんが作ってくれる蕎麦の焼きかりんとうや蕎麦クッキーもお土産やおやつにとおかげさまで人気商品になっています。

今後は農作物や加工品など自分で本当にいいと思える商品を少しずつ扱っていけたらなと思っています。
安曇野にお越しの時は穂高神社の参拝帰りにぜひお立ち寄りください。    蕎麦とりい 中村健太

Ogurayama Friends 2014年6月号ニュースレターより

今回のおぐらやまフレンズは、知る人ぞ知る歌手ケロポンズのポンちゃんです。お子さんのいるご家庭の方はよく知っているかもしれません。You tubeでぜひ「エビカニクス」「ケロポンズ」と検索してみてください。再生回数100万回を超える、そしてウーファーさんもはまった歌と踊りです。日常でもポンちゃんはいつも最高です!!下記の写真の絵本はポンちゃんがお話を考えたものです。ウケる絵本です。黄色の衣装を着ているのがポンちゃん、ピンクがケロちゃんです。



ぴっかぴか! おぐらやま農場ニュースレターをお読みのみなさま、はじめまして。わたしはおぐらやまからちょろろとなだらかな坂を下ったところに住んでいる平田明子といいます。みんなからはポンちゃんと呼ばれています。どうぞ宜しくお願いします。

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3年前にこちらに移住してきたのですがおぐらやまファミリーとはですね、思い返すと気づいたら知り合っていた、といったのが一番しっくり来る感じがします。こどもたちが小学校の同級生だったり、共通のともだちがいたりということもあるんですけど。

 普段わたしはケロポンズというユニットを増田裕子(ケロ)と二人でやっています。仕事は主にコンサートやセミナーなどなので、呼んでくださる方がいらっしゃれば日本全国どこまででも行きます。長野は日本の真ん中なのでどこでも近いに違いない!と思い引っ越して来たのですが案外どこにいくのも遠くて何度か心が折れそうになったのは事実です。トホホ。(笑)でもそんなわたしがどうしてここに3年も住んでいるかというと、言わずもがなこの場所、この場所にいる人、この場所のもつ気配、空気、食べ物、水、生き物、風景すべてに魅力があるからなのだと思います。

 去年からは、近くに畑も貸していただいて念願の畑もやっております。自分のまいた種からできたものって、おいしいし、実るとうれしいものですね!たとえ小さくてもへんてこな形でも最高〜!おぐらやまには、もっともっとたくさんのおいしいがてんこもり!そしてこの家族はですねー、とにかく笑顔がぴっかぴか! みんな好きな事をまっすぐにやって気持ちよく生きていていいなあと思います。お知り合いになれて本当にうれしい!これからもよろしく!おぐらやま農園といえばりんご、じつはうちの実家も広島でりんごを作っています。ということで最後にもう10年以上前にかいた『りんご』という歌をおぐらやまファミリーに送ります。これからもみんなにぴっかぴかのおいしさと笑顔を届けてね!

 りんご
詞 平田明子  曲 増田裕子

くだらないはなしして 笑っていた
いまとなってはなんだったのかおもいだせない 
きみの笑った顔を見ていると 
ついつい つられて笑ってしまうのさ
しあわせって そんなに 遠いものじゃなくて 
しあわせってそんなに むずかしいことじゃなくて 
りんごをがぶりとかじる そんなことなのかもしれない

Ogurayama Friends 2014年2月号ニュースレターより

今回はおぐらやま農場を語るには必ず登場しなければならないキーパーソン、津村孝夫さんを紹介します。お互い二十歳のころからの二十数年来の友人でありますが、僕は未だに彼の人間性の深奥を尋ね当てておりません。人の役に立つことが嬉しい、自分のことは後まわし、他人の世話をするのが大好き、だけど彼ほど「自分が何者か」を自覚している人も希少です。 僕たちの田んぼの育苗で世話になったり、彼のトマト畑の苗をこちらで作ったり、ウーファーさんがそれぞれの家族を行き来したりと、様々な場面で彼の存在がおぐらやま農場に与えているものは大きいのです。中学時代のニックネームがインド独立の父、マハートマ・ガンジーをもじった「ツンジー」だったという逸話は、彼の人となりを紹介するにはピッタリのエピソードです。 

安曇野に来てから知り合った奥様の話も、かわいい娘さんの話も、彼が手がける合鴨農法の田んぼや地道に作り続けているエゴマとエゴマ油の話も、そして北小倉の産廃施設に対する住民運動のまとめ役としての話も、話し出せばきりがないドラマの連続なのです(だれかこの実像を小説にしてくれる人がいたらといつも思っています)が、彼に原稿を依頼したところ、非常に簡潔な文章となりました。たくさんPRしてねと言っても、こうなってしまう彼の人柄に苦笑した次第です。 (アキオ)
 


<津村孝夫(つむら たかお)昭和46年香川県丸亀市生まれ>
高校時代は昆虫採集に明け暮れるも、福岡正信氏の「わら一本の革命」に出会い、百姓を志す。大学では昆虫学をやろうと愛媛大学に進学するが、農業の現場で働く面白さを知り退学。農事組合法人で働くこととなる。担当は養鶏。8年間養鶏を中心に様々な農作業を経験する。

29歳で青年海外協力隊に参加。アフリカ・ザンビアで、養鶏の指導に2年間取り組む。帰国後、高校時代に描いていた百姓暮らしを実現するため、2003年より現在の安曇野市三郷小倉の地に移住。松村暁生氏が就農していた地を訪ねたのがきっかけ。

地元有機農家の先輩たちに学びながら、田んぼや畑を借り、米、エゴマ、トマト、小麦などの栽培を始める。全て無農薬栽培にこだわり、稲作では「合鴨農法」も取り入れている。私の農園を含め3軒の農家と地元の酒造会社が協力して、無農薬栽培の酒米の純米酒「逢醸(あいがも)」を生産・販売している。

田んぼで役目を終えた後のアイガモ肉を販売し、農家の収入に繋がれば、もっと合鴨農法に取り組む人が増え、有機農業の輪が拡がることを願い、昨年、合鴨の解体処理・販売施設を作った。合鴨農法に関心のある方、処理の委託、肉の販売などに関して、ご相談に応じますので連絡下さい。

 E-mail katatsumura★r7.dion.ne.jp(★を@に変えてください)

上記のように、津村さんは自宅そばに自力で合鴨の解体精肉施設を作り、昨年よりアイガモ肉を皆様に販売できるようになりました。まだいくらか在庫に余裕があるようですから、ご希望の方は上記連絡先へ気軽にお問い合わせください。こんなことを構想し本当に実現してしまう彼の総合力・人間力を少しでも見習いたいと痛感するのであります。
よろしくっす!!

おぐらやま農場

Author:おぐらやま農場

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